短編・連作小説 迷子の男の子

今日は昼過ぎまで仕事だった。店長が急遽出張買取で不在のため、午前だけの出勤になったのだ。
杉山さんが「通しでやりますよ」と言ってくれたけれど、私は「夕方に歯医者があるだけなので、午前中出ます」と店長に申し出ていた。

そんなわけで、歯医者までの時間つぶしにカフェで小説でも読もうと思いながら歩いていた。
働いた分、ケーキでも食べたいなと思いながら。冬の空気はきりっと冷たいのに、日差しだけは優しくて、頬に当たる光が心地よかった。

交差点を渡ろうとしたとき、小さくしゃくり上げる声が耳に触れた。
歩道の端で、赤いニット帽をかぶった男の子がひとり俯いている。手にはプラレールをひとつ、ぎゅっと抱えていた。五歳くらいだろうか。

声をかけるべきか迷った。変に思われないだろうか。でも、それ以上に放っておけなかった。

「どうしたの?」

そう声をかけると、男の子は涙目のまま私を見上げた。

「……良平がいないの」

良平? お父さんかな。でも「パパ」や「お父さん」と言わなかったことが、少しだけ気になった。

「君、名前は?」

「コウタ」

小さく震える声でそう答えた。スマホを持っているか聞いてみたが、持っていないらしい。

「じゃあ、交番に行ってみようか?」

そう提案すると、コウタは涙をこすりながら言った。

「……公園に行くつもりだった」

「そっか。どこの公園かわかる?」

「……わからない」

「じゃあ、とりあえず近くの公園に行ってみようか。それでしばらく待っても来なかったら、交番に行こうね」

こくりとうなずいたので歩き出した。泣き止んでくれたことで、ひとまずほっとする。
どうしたら安心してくれるだろうと考え、話題を探した。ふと、抱えているプラレールが目に入った。

「それ、プラレールだよね。……はやぶさ、好きなの?」

その一言で、コウタの目がぱっと明るくなる。

「うん! はやぶさすき!」

「私も少しだけわかるよ。はやぶさ、かっこいいよね」

そう言うと、コウタは胸を張るように笑った。その笑顔が見られただけで、胸がすっと軽くなった。

地図アプリを見ながら近くの公園に着く。
探し回ってまた迷子になったら大変だし、一度この公園で待つことにした。

「寒いでしょ。あったかいお茶、飲む?」

自販機で買ったペットボトルを渡すと、「ありがとう」と小さな声が返ってきた。

コウタは公園で遊んだり、戻ってきては私と話したりしていた。
そして40分ほど経ち、私も寒くなってきたので、そろそろ交番へ向かうべきかと考えていた。

そのとき――

「――コウター!」

大きな呼び声が響いた。コウタが顔を上げる。

「あ、良平かも!」

次の瞬間、コウタは駆け出していた。

「良平ー!!」

「コウタ!? よかった……本当に、よかった……!」

駆け寄ってきた男性は、焦りがほどけるようにしゃがみ込み、コウタを強く抱きしめた。
見たところ30代半ばだろうか。黒髪に黒縁メガネ。杉山さんよりは少し年上に見える。

「すみません……! 途中ではぐれちゃって、ずっと探してて……」

「いえ。見つかってよかったです」

胸をなでおろしたのは、たぶん私も同じだった。

「あの、なにかお礼を……」

「あ、大丈夫です。私、今日は暇でしたので。それに、コウタくんとお話できて楽しかったので」

そう言うと、コウタはこちらを見て、

「なつき、ありがとう!」

「またね、コウタ」

「あの、本当にありがとうございました」
良平さんは深々と頭を下げた。

「いえいえ。お役に立てて良かったです」

嬉しそうなふたりを見ていたら、それ以上何を言えばいいのかわからなくて、私は軽く会釈してから歩き出した。振り返ってコウタにも手を振る。

もう少し話すべきだったかな、と少しだけ後ろ髪を引かれる気持ちもあったけれど、そこまでの勇気は出なかった。

まだ時間あるし、予定通りカフェでケーキ食べよう。

向かう途中、胸の奥がほんのり温かかった。
少しでも誰かの役に立てたことが、嬉しかった。

あとがき

思いがけず人を助ける場面に出会うとき、声をかけるか、かけないか。
川嶋さんは声をかけたことで、少しだけ誰かの力になれました。

その出来事は、大げさなヒーローみたいなことではありません。
けれど胸の奥に、小さくて温かい灯りがともるような体験だったのだと思います。

川嶋さんにとっては、ほんの小さな偶然。
でも「自分にもできることがある」と思えた瞬間は、確かに自信へと繋がっていく。
川嶋さんは、少しずつ、静かに変わっているのかもしれません。