短編・連作小説 過去編エピローグ 今の私がここで働き続けている理由

私がここで働き始めてから、二年が経過していた。

査定完了の時間になり、お客様がご来店された。

「終わってるかしら?」

「はい、お待たせいたしました。査定の方、終了しております」

彼女が持参したのは、使い込まれた茶色の革製ショルダーバッグと、琥珀色の大きなブローチだった。

かつての私は、相手の目を見るのが怖かった。
相手が何を求めているのか、自分の言葉がどう評価されるのかを考えすぎていた。けれど今、私の視線は目の前のお客様に注がれている。

「こちらのバッグですが、角のスレや内側の染みはどうしてもマイナス査定にはなってしまいます。……ただ、すごく綺麗に使い込まれていますね。大切に、何度も手入れをされていたんだと思います」

女性の肩から、ふっと力が抜けるのが分かった。

「……母が、ずっと使っていたんです。ブランド物だから高いものだと母が言っていたのですが、引っ越すので持って行くのもどうかと思いまして。もうボロボロだから、捨てるくらいならどこかで引き取ってもらえればって。でも、そう言ってもらえると嬉しいです」

「ブローチの方は、ブランド価値も含めて非常に良いものです。二点合わせてこちらの金額になります」

提示した伝票の数字を見て、女性は少し驚いた表情を浮かべた。
「思ったよりも高くて、びっくりしました」

「それなら良かったです。今の相場を考慮しての価格ですので」

杉山さんに叩き込まれた買取業務と、店長の吉田さんがいつも口にする「お客様の未練を、納得に変える」という言葉。
それが今の私の指針になっている。

ご提示いただいた身元確認証のコピーを取り、買い取りの伝票にサインをもらい、査定金額をお渡しする。

「ありがとうございました。……あの、お姉さんに担当してもらえて良かったです」

「こちらこそ、ありがとうございました。また何かありましたらいらしてくださいね」

「はい、ありがとうございます」

深々とお辞儀をして去っていく彼女の背中を見送りながら、私は小さく息を吐いた。

「川嶋さん、今の接客、良かったよ」

いつの間にか背後にいた吉田店長が、茶目っ気たっぷりに親指を立てる。

「ありがとうございます。……でも、今でも買取は少し緊張します」

「それがいいんだよ。慣れすぎて相手の気持ちを忘れるより、ずっといい」

吉田店長は伝票と商品をチラッと見ただけで、それ以上は何も口を出さなかった。

ここで働き始めて二年。

初めての接客で何度も戸惑った。
初めて査定を始めたときは挫けそうで、何度も辞めたくなった。

身元確認証を返し忘れて青ざめ、震える手でお詫びの電話をかけて、店長がお客様のご自宅まで届けに伺うという出来事もあった。

クレーム対応に胃が痛くなることも、数えきれないほどあった。

仕事に慣れない頃、体調を崩しながらも必死に出勤した。

それでも、そんな私を気遣い、サポートしてくれた周りの人たち。
時には厳しく、でも励ましてくれた。

今では、新しく入ったスタッフも含め、私はここの職場の人たちが大好きで、それと同時に、とても尊敬している。

そして、ちょっとした「ありがとう」という言葉を直接聞けるこの環境。
それが、今でもここで働き続けている理由なのかもしれない。

私の勤務終了時間になり、吉田店長に挨拶をして私は退勤した。

以前は、朝が来るのが怖くて、足が動かなくなった日々があった。
社会という大きな歯車からこぼれ落ち、自分には一円の価値もないと絶望した夜があった。
けれど今、私の両足はしっかりと道を歩いている。

不安を抱えながらも、勤務時間や日数は少しずつ増えてきた。

この職場で働き始め、一年半が経過した頃、私は実家を離れることにした。
両親に反対されるかもと思ったが、「何かあればすぐに連絡するのよ」という条件で、一人暮らしを始めた。

そして今では、ちょっとした「前向きになれること」を探しながら、私は一人暮らしをしている。

駅のホームに着き、スマホを見る。

そこには美香から届いた『次はいつ会える?』というメッセージ。
私は電車を待ちながら、返信を打ち込んだ。

『この日なら大丈夫だよ。また仕事の話、聞いてくれる?』

春の風は少し冷たいけれど、胸の奥には、小さな暖かさを感じた。

人間誰しも、毎日悩んだり、失敗して落ち込むことはある。
それでも今の私はもう、あの頃とは違う。
一歩ずつ前に進んで、自分のペースで歩いていきたいと思った。