短編・連作小説 過去編① 昔の私 『川嶋夏希』

美香に「好きな人や気になる人は?」と聞かれてから、一週間。

大学時代の友人である美香は、今では一歳の娘の母親になっていた。

その横顔を見てから、私はずっと昔のことを思い出している。

短期大学を卒業してすぐ、私は事務職の正社員になった。

けれど、その職場は私には合わなかった。

一般事務として採用されたはずなのに、研修後に営業へ異動となったからだ。

あの頃の私は、人見知りで、友人も少なく、浅く関わる程度。

なぜ営業なのかと胸の中で問い続けた。

理由は単純だった。

その時期に営業の人が数人辞め、人手が足りなかったのだろう。

職場ではよくある話だと思う。

私は不器用ながらも、一生懸命に頑張ったつもりだった。

でも限界はある。

最初は優しかった先輩も、半年が過ぎた頃には表情が固くなり、私自身もあまり成長できていないのを感じていた。

気づけば孤立し、ミスは増え、謝ることにも慣れてしまっていて、残業も当たり前になっていた。

上司からは残業ばかりは困ると小言を言われることもあった。
そして私はまた頭を下げる。
その繰り返し。

それが当たり前の日常になった頃。
ある日、いつの様に仕事へ向かおうとした朝、足が動かなかった。

胃が痛く、食欲もない。吐き気さえある。
風邪かと思ったが風邪ではない。

その日から、私は職場へ行けなくなった。

自分の症状を調べ、私は精神科の病院へ向かう。
診断は「鬱病」だった。

しばらくは薬を飲み、休職になったがこれ以上は難しいと私は思い、三ヶ月後に退職した。

その後も病院に通い、自宅で静かに過ごした。

少しずつ回復し始めた頃、私は考えた。
もう正社員には戻れない。
また知らない部署に飛ばされるかもしれない。

悩んだ末、派遣社員としてデータ入力の仕事を選んだ。

理由は人との関わりが少ないから。

派遣の仕事は転勤もあったが、慣れてきた頃には移動もなくなり、気づけば同じ職場で六年。私はいつの間にかベテランになっていた。

そんなある日、上司が変わった。

その上司は、私を嫌っているのだろうと思う行動が日に日に増えていく。

なぜ嫌われているのか分からない。
正確なのかと言われれば仕方のないこと。
実際私はコミュニケーションも取れず浮いていた。

私はただ入力を続けるだけ。
所詮は派遣社員なのだから。

それでも仕事はきちんと続けていた。

けれど、訂正や仕事の追加が増え、圧を感じる日々が増えていった。

半年ほど経った頃には、また周囲の視線まで気になるようになっていた。

夜眠っても寝た気がしない。朝起きても体が重い。

頭痛薬を飲んでも痛みは消えない。

資料を見るだけで吐き気がした。

そしてまた、私は出勤できなくなった。

派遣会社に相談すると、なぜもっと早く言わなかったのかと言われた。

定期連絡はしていたはずなのに。

メールや電話でのやり取りだけでは伝わらなかったのだろう。

精神科の診断は再び鬱病。

気づけば私は三十五歳になっていた。

派遣会社は次の仕事を提案してくれた。

だけど十年近く入力しかしてこなかった私は、何もできないと痛感した。

もう入力の仕事に戻る気力はなかった。

なら、自分には何ができるのだろう。

実家に戻った私は、家にこもりがちになった。

幸せそうな人を見ると胸がざわつき、外へ出るのもつらかった。

そして、私は顔も知らない「あの人」に出会うことになる。