短編・連作小説 ありがとう

※この作品は「川嶋夏希」を主人公にした連作短編シリーズのひとつです。
単話からでもお楽しみいただけます。

【川嶋 夏希 第3話 ありがとう】

朝の業務は店長と私の二人から始まった。
夏の日差しがすでに強く、開店前の掃除だけで少し汗ばむ。

店舗はまだ静かで、店長はカウンター奥で事務作業、私はいつも通り店内業務をこなしていた。

お昼近くになり、お腹すいたな……と思っていた頃だった。

「これは……!」

店の奥の棚の方から、小さな声が聞こえた。
自動ドアの音がしてお客さんが入ってきたのは分かっていたが、店内は静かだったので気になり見に行く。

棚の向こうに回ると、背中の丸いおじいさんが箱の商品をじっくりと見ていた。

それは、昔のプラレールの特急列車セットだった。箱の角は少し色褪せていたが、中身はきれいだ。

「どうかされましたか?」

と私が聞くと、おじいさんは目を細めながら、ゆっくり答えた。

「これ……雷鳥だよ。昔、息子に買ってやったんだ。」

「雷鳥……ですか?」
私は知らない名前を繰り返した。

「そう、特急雷鳥。息子が小さい頃テレビで見て、『あれに乗りたい』って言うもんだからな。ばあさんと三人で大阪まで旅行に行ったんだよ。」

おじいさんの目尻が少し緩む。
私は相槌を打ちながら、静かに耳を傾けた。

「もうばあさんはいないけど……あのときの旅行は、今も目に浮かぶんだよ。」

その後もおじいさんは、思い出したかのようにあの時の旅行の話をしてくれた。
大阪で食べたご飯が美味しかったことや、息子が窓の外を夢中で見ていたこと。
旅館での出来事など。

「これ、もらっていくよ。」

おじいさんはそのプラレールの箱を持ってゆっくりレジへ歩み寄った。

私はレジを打ちながら、「いいものが見つかって良かったですね」と言った。

「うん……話を聞いてくれて、ありがとう。」

おじいさんは深く頭を下げた。
私は少し驚きながらも、自然と笑みがこぼれた。

「ありがとうございました、またお待ちしております。」

そう言って商品を手渡したとき、おじいさんはとても穏やかな表情をしていた。

自動ドアの音がして、外の夏の光が一瞬差し込んだ。

静かな店内に戻ると、私はさっきまでおじいさんがいた場所を何となく見た。

「……ありがとう、か。」

私は小さくつぶやいた。
ただ話を聞いただけ。でも、そのひと言が思いのほか心に沁みていた。

小さなプラレールコーナーを見つめながら、胸の奥がじんわりとあたたかくなる。

「こんな日もいいかもね」

足音が聞こえた。
店長が奥から戻ってきたみたいだ。
店長は少し笑っていて、たぶん聞いていたんだろうなと思った。

あとがき

ちょっとした会話の中で「ありがとう」と言われると、なんとなく心があたたかくなりますよね。

ちなみに「ありがとう」という言葉には、
自分の心をやさしくする効果があるとも言われています。
口に出すだけでも、少し気持ちが落ち着くのだそうです。

今日は誰かに、そして自分にも。
小さく「ありがとう」を伝えてみるのもいいかもしれません。

今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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