短編・連作小説 新しいパン屋さん

仕事を終えて、駅へ向かう道を歩いていた。
夜でも空気はまだ熱気を残していて、蝉の声が遠くから聞こえてくる。
夏は、夜になりかける時間でもまだ明るい。

人の流れに合わせて歩いていると、前方で誰かがビラを配っていた。
近づいてみると、落ち着いた雰囲気の大人の女性が笑顔で差し出してくれる。

「よかったらどうぞ」

受け取った紙には、大きく「ニューオープン」と書かれていた。
「あれ、ここ……」
記憶をたどる。半年前まで、同じ場所には小さなパン屋があった。

駅の近くだったから、朝と仕事帰りにたまに覗いてはパンを買っていた。
それが閉店してしまい、気づけば空き店舗のままになっていたのだ。
その時は美味しかったので少し悲しかった。

「また、パン屋さんになるんだ……!」
ちょっと嬉しくなった。

ビラを見つめる。写真には、焼き立てのクロワッサンや小さな丸パンが並んでいて、美味しそうに光っている。
「オープンは来週か……」
少し心が動く。

でも、こういう新しいお店は初日からきっと混むだろう。
お客さんでいっぱいの中に入るのは、正直苦手だ。
並んでいる人たちの熱気に押されてしまいそうで、少し気後れしてしまう。

(落ち着いた頃に行こうかな)
そう思うのがいつもの私。

……でも、やっぱり気になる。
今度仕事帰りに、お店の前を覗いてみようか。
パンはほとんど残ってないかもしれないけど、どんな感じか気になるし。
それだけでも十分楽しめる気がする。

家までの道を歩きながら、少し足取りが軽くなった。
明日の予定や夕飯のことを考えるだけじゃなくて、「新しいパン屋さんに行ってみよう」っていう小さな楽しみができるだけで、少しだけ明るい気持ちになる。

仕事も頑張れそうだ。
あ、今日は家の近くのパン屋に寄ろうかな。

ほんのささやかな出来事だけど、それだけで今日の帰り道はちょっと特別に思えた。

あとがき

街に新しいお店ができるだけで、日常の景色が少し変わるなと感じる時があります。
「そのうち行ってみよう」と思うだけでも、気持ちがほんの少し前向きになることがありますよね。
川嶋さんにとって、新しいパン屋さんはそんな小さな楽しみのひとつになりそうです。

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